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2011年5月11日 (水)

もう一つの3月11日  2

東京もかなり派手に揺れた。 一部で建物に損傷が出るほどだった。   

首相は官邸でこの地震に遭遇していた。 刻々と放送で伝えられる状況を見ながら、各地の自治体と連絡を取ってはいたが、一番ひどい被害をこうむったところとはなかなか連絡が取れないでいた。  大臣すべてと自衛隊幕僚も加えて災害対策室で状況把握を続けていた。  被災地域にある重要施設はどうなっているのか。しかし現地からの連絡は途絶したままである。  日没もまじかに迫っている。被災地方面の自衛隊駐屯地との連絡もままならない。  日没前に偵察機を出さなければ現状把握が困難になる。 首相は決断する。   

関東東北方面に非常事態を宣言。 自衛隊全部隊に東北方面への出動を発令。 ただちに偵察機を発進、情報収集を急ぐよう指示する。  

被災地域の重要施設に多くの原子力発電所があることはわかっていたが、現地とは連絡が取れない。 いったいどんな状態なのか知ることができないでいた時、アメリカ軍から原発の異常についての情報と、その処理を行うという連絡が入ってきた。  この決定はまさに首相に託された運命の分かれ道になった。  首相は決定する。 放射能を外部へ出さないためならどのようなことを行ってもいいと。  

これにより、かろうじて原子炉が溶解する前に冷却をすることができたのであった。  まさに決断と時間との紙一重のところで日本は放射能汚染の危機から救われたのであった。  

第一の危機はこうして乗り越えていったのである。  

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